Koenig Specials GmbH|ケーニッヒ・スペシャル

設立1977年
創設者ヴィリー・ケーニッヒ
本社所在地ドイツ バイエルン州 ミュンヘン ファレンツハウゼン ミュンヘン通り 14
デザイナーヴィットリオ・シュトロゼック
エンジニアリング責任者フランツ・アルベルト
ボディ素材
FRP、カーボンケブラー
提携LOTEC、ALBERT(現ALBREX)、KONI、Pirelli、Lorenz & Rankl、TechArt、H&R、OZレーシング
公式サイトhttps://www.koenig-specials.com/homepage%20neu/navigation%20neu%20englisch.htm

歴史

ケーニッヒ・スペシャルはヴィリー・ケーニッヒによって設立され、会社はドイツ南部のミュンヘンにあった。

1974年、ヴィリー・ケーニッヒがドイツで最初のフェラーリ 365BBを購入したことからケーニッヒ・スペシャルの物語は始まった。ヴィリー・ケーニッヒは、レーサーであり、出版業でも成功していた。

ヴィリー・ケーニッヒはその新しいフェラーリの性能に満足していなかったため、エンジンのスペシャリストやコーチビルダーにチューニングを依頼した。やがて、ケーニッヒの改造した365BBに興味を持つ人々が現れ、趣味は仕事へと変わった。そして、1977年に自身の出版社を売却してケーニッヒ・スペシャルを設立した。

テスト中のコンプリートカーは、ヴィリー・ケーニッヒとその長男のヴァルター・ケーニッヒが自らテストドライブを行っていた。

~フェラーリから憎まれた車~

当時、フェラーリの創設者エンツォ・フェラーリがケーニッヒ・フェラーリを知った時、弁護士を通してフェラーリのエンブレムを外さなければ、法的措置をとると通告を受けた。

フェラーリの創設者エンツォ・フェラーリだけではなく、世界中のフェラーリファン・コレクターからは、ワイドすぎるボディは醜く、フェラーリではないといわれていた。しかし、ケーニッヒ・スペシャルはヴィリー・ケーニッヒのスポーツスタイルを貫き、ワイドボディ、エンジンの高出力化をそれ以降のケーニッヒ・フェラーリにも施した。

そして、それだけエンツォに嫌われていたケーニッヒ・フェラーリは現在ではフェラーリのクラシケ認証委員会に認められている。

~1980年代で最も有名なチューニングメーカーへ~

当初、ケーニッヒはフェラーリだけをカスタムしていたが、すぐにその範囲を広げた。(メルセデス・ベンツ、BMW、ジャガー、ポルシェ、ランボルギーニなど)ほとんどの車でワイドボディだけでなく、エンジンチューニングが可能でインテリアもカスタムすることができた。

ボディキット装着、エンジンチューニング、インテリアの張替えなど、そのほぼ全てが委託によって行われていた。

ケーニッヒ・フェラーリは、512BB(i) ツインターボ、308(i) ターボ、ケーニッヒ コンペティション エボリューションなどで有名に。

1980年代の終わりには、プロトタイプレーシングカーのポルシェ962の公道仕様、ケーニッヒC62を日本のカークラフトの出資で世界で初めて製作した。

~チューニングメーカーの衰退~

1980年代から1990年代初期まではブームであったチューニングも日本のバブル崩壊により徐々に衰退していった。それは、1980年代で最も有名と言われたケーニッヒも例外ではなかった。メルセデス・AMGやBMW Mなどの社内チューニングメーカーが市場を支配するようになり、時をかけ徐々に人々の記憶から忘れ去られ、姿を消した。

~2000年代から現在まで~

2000年代に入り、チューニングに重きを置くのではなく、パーツ制作を主としていた。パーツ販売のほかにも、過去に作成したコンプリートカーやクラシックカーの販売もしていた。

ヴィリー・ケーニッヒ、その息子であるヴァルター・ケーニッヒともに2018年に亡くなった。

ヴィリー・ケーニッヒの次男であるオリバー・ケーニッヒが後を継いでいて、メールでパーツ販売を承っているが、過去のモデルのパーツ全てが手に入るわけではない。 また、真贋証明も行っている。

日本での歴史

世界でスーパーカーブームが真っ只中であったが、日本でもそのブームが起きていた。そんな中、ただでさえワイドなフェラーリ テスタロッサを、ワイドにしたらどのぐらい注目を集めるのか。その、モンスターマシンは世界的に色々な意味で注目を集めた。

特に日本では、ケーニッヒは人気でフェラーリ以外のケーニッヒ(メルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMWなど)も1980年代から1990年代にかけてかなりの台数が輸入された。他の並行輸入のチューニングカーと違い、正規ディーラーが輸入をしていたこともあり、高価ではあるが買いやすく、日本に入ってくる台数も多かった。

1988年ごろからは日本がメインマーケットとなった。

ヴィリー・ケーニッヒは当時日本に来日しており、雑誌などの取材や谷田部テストコースで走行もした。

1988年の東京オートサロンでヴィリー・ケーニッヒとともにヴァルター・ケーニッヒも来日している。

日本のチューニングカー文化にも大きく影響を与えたメーカーで、当時スーパーカーブームだったこともあり日本にワイドボディチューンを流行らせたきっかけになったメーカーでもある。

現在は、スーパーカーブームを知らない人も多く、人気があった日本でも忘れ去られてしまっている。

日本正規ディーラー

正規ディーラーをしていたのは、かつて愛知県岡崎市にあったカークラフトである。

※現在ケーニッヒはディーラーとの提携はやめている。

365 BB Bi Turbo|365 BB ツインターボ

512 BB Bi Turbo|512 BB ツインターボ

308 GTB・GTS Turbo|308 GTB・GTS ターボ

512 BBi Bi Turbo|512 BBi ツインターボ

308 GTBi・GTSi Turbo|308 GTBi・GTSi ターボ

328 GTB・GTS Turbo|328 GTB・GTS ターボ

Testarossa Bi Turbo|テスタロッサ ツインターボ

Koenig Competition|ケーニッヒ コンペティション

Koenig Competition Cabrio|ケーニッヒ コンペティション カブリオ

Koenig Competition Evolution|ケーニッヒ コンペティション エボリューション

Koenig Competition Cabrio Ⅱ|ケーニッヒ コンペティション カブリオ Ⅱ

Wildcat|ワイルドキャット

Countach Bi Turbo|カウンタック ツインターボ

Diablo VT Bi Turbo|ディアブロ VT ツインターボ

Diablo Special Roadster|ディアブロ スペシャル ロードスター

KS 6

F40

F50 Bi Turbo|F50 ツインターボ

Koenig Competition Evolution RS|ケーニッヒ コンペティション エボリューション RS

F48

560SEC(C126)

560SEL(W126)

SL(R109)

SL(R129)

911(930) Turbo “Road Runner”|911(930) ターボ “ロードランナー”

928

911(930) Carrera 2/4 Kompresser|911(930) カレラ 2/4 コンプレッサー

CL 7.2(C140)

KS 3

KS 7

KS 8

C62

F55

550 Maranello/575M Bi Turbo|550 Maranello/575M ツインターボ

360 Modena Bi Turbo|360 ツインターボ

F430 Bi Turbo|F430 ツインターボ

W202(C-class)|W202(Cクラス)

個人的見解

90年代が終わりケーニッヒはコンプリートカーの製作をやめ、パーツ販売のみになった。そして、2018年1月12日に54歳の若さでヴァルター・ケーニッヒがなくなり、2018年6月17日に80歳でヴィリー・ケーニッヒが亡くなった。

イベントでは、2017年フランクフルト・モーターショーで最初の車である365BB ツインターボを展示したのが最後。しかし、そんな詳しい情報はウィキには載ってない。創設者が亡くなったという記事もない。時代の流れで忘れ去られていくことなのかもしれない。しかし、ケーニッヒが世界に与えた影響は大きいし、ケーニッヒの車は日本でかなり人気だった。だからこそ、後世に残すべきだと思う。